サニーと過ごす、禅のような時間

 2025年6月20日

ちょっと長いブログになりました。ごめんなさい。

サニーがときどき、ぼーっと何かを見つめている姿があります。じっと静かに、目の前でもなく、私でもなく──その先にある“何か”を。「何を考えているのかな?」と気になって、調べてみたところ、こんな答えが見つかりました。

犬は人間のように“言葉で思考する”わけではなく、感覚や記憶、周囲の気配に反応しながら「感じている」時間を過ごしているそうです。その状態には、こんなふうな意味が
 ・感覚を休めている(“無”に近いリラックス状態)
 ・匂いや音を感じて、記憶と照合している
 ・過去の体験や感情の“断片”を、ぼんやり再体験している
 ・自分の「安全」を確認している

黄昏れている(愛知県日進市の公園)

なるほど……。私はこう思いました。「それって、まるで“禅”のようだ」「まさに、犬の禅のような世界かもしれない」 禅の教えには、「何もせず、何も考えず、ただ“今”を感じる」という“無念無想”の境地があります。サニーが音も立てず、ただ風を感じながら一点を見つめているとき──それはまるで、私たちが長い修行の末にようやくたどり着けるかもしれない「無の境地」に、犬は自然と立っているようにも見えました。犬は「いま、ここ」に生きている。人はどうしても過去や未来に心を奪われがちですが、犬は、その瞬間にある風の匂い、遠くの音、気温、安心感、静けさ──すべてをまるごと感じながら、ただ“今”にいるのではないかと思いました。飼い主として、私にできることは、そんな静かな時間を壊さずに、そっと見守ること。または、サニーと一緒にただ隣で、ぼーっと今を感じることかな。それは、言葉もいらない、「いのちといのちのあいだの静かな対話」なのかもしれません。
 ・過去にとらわれず 
 ・未来を心配せず 
 ・評価も、比較も、言葉も持たず 
 ・「いま、ここにあるもの」だけを感じて生きる。
サニーと一緒に、そんな「禅のような世界」を、少しだけのぞいてみたくなりました。
でもいつもは、お腹が空いた・遊べ・散歩・そしておトイレの「今欲求」、「目当たり次第に口に咥える」、「息子に対し襲うように愛情表現をする」ことで生きていますけど(笑)

何を見ているのでしょうか

高貴すぎる姿!(横浜市鶴見川)








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